声を聞かせて




『岸上ミナミの指輪は、が盗んだらしい』
そんな噂がたちはじめたのは、もうすぐマネージャーの有坂志保の足が完治しそうなころだった。
悪い噂は早いほど回る。
誰もがそれを話題にし、誇張していく。
が首にさげているのは盗んだ指輪。それなのにのうのうとマネージャーをしている』
テニス部の臨時だとしてもそれでも容易に近づけない場所にいる彼女に、悪意が向くのは早かった。
臨時ということで、テニス部メンバーのいじめのフォローがあまりなく、それゆえ彼女達はガードのゆるさに安心したのだろう。
近づきたいのに近づけない。
喋りたいのに喋れない。
自分達が近づけない世界にいる女がにくい。
全てをごちゃ混ぜにして、彼女達は理由付けをし、牙をむいた。
己のエゴを最優先し、残酷さに気づかないふりをして。







大なり小なり、じめはあるだろうと覚悟はしていた。
臨時だと言っても、それさえできない人がたくさんいる。
景吾たちは目立ちすぎる。
彼女になりたい、近づきたいそう思うのは当然だろう。
だけどクラスが同じならなんとかなっても、学年が違ったり、まったく接点がなかったりしたらどうしようもない。
恋心が凶行になるというのは、よくあることだ。
本人に行かずに、周りにその凶行が向けられることもよくあることだ。
臨時を引き受けた時からそれは予期できていた。
だからたとえ、上履きがなくなっていても、ノートが消えていたりしても黙っていた。
教科書や上履きは持って帰ればいい。
できなかったら、部室に入れていてもいい。
何もなければ、狂気的な手紙が入るだけだ。
そんないじめぐらいなら、きっと臨時が終われば自然と消えていくだろう。
入りたくても入れない場所にいる自分が憎いなんて思われても仕方がないことだろう。
最初から全てが間違っているのだから。
トリップしてること時点で何かが違う。
投げやりになっているつもりはないのだけれど、それでも甘んじて虐めを受け入れる自分がいる。
トリップして人の人生を狂わしてしまった罰なのだろうかと。
いるべき場所からトリップし、その場所を誰からか奪っていた。
それを気づくことなく、景吾の横で笑っていた自分。
みんなの横で笑っていた自分。
何も気づかず、楽しくて嬉しくて、何故なんて考えることなく。
だからその罰として今、ここにいるのだろうか。
あなたの場所はここではない。
あなたの仲間は仲間ではない。
ただの間違いで、許されるべきことじゃなかったと。
突きつけられた光景は、罰としては一番効果があるもの。
だから人の陰口や、いじめなんてたいしたことなんてなかった。
精神的なダメージは、幸せそうなみんなを見ている方が辛いのだから。





パーン。
澄み切ったような鋭い音がした。
鋭い一撃だったので、痛みはすぐに感じなかった。
ただ後から鈍く、ズキズキしたような痛みがでてくるころには叩かれたのだと自覚する。
「指輪を返しなさいよ!」
その言葉を放ったのは、岸上さんではなく別の知らない女の子。
「持ってるんでしょう!」
何をどう思っているのか、まるで自分の指輪が盗られたかのような形相で詰め寄ってきた。
襟首を掴みあげられ、揺さぶられる。
首にかかっている指輪を取り出そうと必死に食って掛かる。
そこまでされて、慌てて指輪を守ろうともがいた。
まさかそこまでしてくる人がいるとは思わなかったから、指輪を家に置くなどしなかったのだ。
お守りだから肌身離さず持っていたかった。
それだけがこの世界と私を結ぶたった一つのものだから。


「あんたが持ってる資格なんてない!」
どこからそんな力がでるのだというほど、細い彼女の力は強く。
もみ合いは長く続く。
指輪だけは何としてでも守らなければならない。
たとえ、彼女の言うとおり持ってる資格がなかったとしても。
これが大勢に囲まれていたらきっとすぐに奪われていただろう。


しばらくもみ合っていると、それを静止するようにふわっと身体を引き寄せられ、鬼のような形相をした女から引き離された。
突然出てきた腕に驚いて、振り返るともっと驚いた。
「…………宍戸君」
誰かと認識した途端に、彼女の表情がかわった。
「何やってんだ?」
不快そうな顔をした宍戸君に、彼女は怖気づいたような顔で途切れ途切れに答えた。
「私は…指輪を、取り戻そうと………思って、だってそれは………」
「ミナミがお前に頼んだのか?」
「それは…………でも、あの人が持っているのは盗んだ指輪でしょう!」
鋭い宍戸君の瞳に怯えたような顔をしていたが、自分を正当化するかのように叫んだ。
服の上から握り締めた指輪に、更に力が入る。
自分でもこれは私のだとちゃんと前を向いて言える自信がないのだ。
何故岸上さんの指輪がなくなって、私の指輪がこうして存在しているのかは分からない。
だけど、これはそう簡単には譲れない。
少し黙った宍戸君を、いいように解釈したのか顔に余裕がでてくる。
「盗んだ指輪なら返すのが本当でしょう。だから私が」
更に説明するように喋りだしたのを無視し、宍戸君は私の方に身体を向けた。

「指輪、持ってるよな」
その言葉に素直に頷く。
「でも、」
この指輪は岸上さんの指輪ではないと続けようとしたのだが言葉を遮られた。
「指輪、お前のなんだろう?」
弁解するよりも早く宍戸君がそう断言してくれたのに驚いた。
彼は私を一番嫌っているのだろうと思っていたから。
指輪のことも多少なりとも疑っているのではないかと思っていた。
だからそうではないのだろうと言われて、本当に驚いた。
「これは私の大事な人から貰ったものだから、誰のものでもない」
信じてくれた宍戸君の気持ちが嬉しくて、きっぱり否定をした。
「だったら、最初から否定しろ。お前が否定しないから噂はそうやって誇張されていくんだ。
 大体、お前いじめだって黙って受け入れてただろ! あんなのちゃんと対処しないとあいつらどんどん付け上がっていくんだぞ!」
どこで見ていたんだろうと思うぐらい、私の行動を見ていたらしい。
宍戸君はまるで本当に私を心配してくれているかのように、怒っている。
後ろにいた女は、自分の行動が思わぬことになったと、居場所がなくなったようにそわそわしだした。
「おい!」
振り返った宍戸君に、彼女は後ずさりをしはじめた。
「自分の問題なら口は出さないけど、お前本当にミナミのために思って行動したのか?」
「そうよ!」
強気の口調だが声は震えていた。
「本来の持ち主の元に戻るのが普通じゃないの?」
「だったら他人が口出しすることは普通なのか?」
「それは…………」
「二度とするな」
宍戸君の強い口調に彼女は唇を噛み、悔しそうに去って行った。



「有難う。宍戸君」
二人っきりになった途端、気まずい雰囲気になった。
だから払拭するつもりでお礼を口にした。
宍戸君の助けはとても意外だった。
でも、本当に助かった。
「俺はああいうのが嫌いなだけだ」
「うん。でも有難う」
たとえ宍戸君が私を嫌いだったとしても、それでも嬉しいことには違いない。
宍戸君らしいと思う。
正しいことには好きな人も嫌いな人もないと、行動するところが。


「俺はお前はよくやってくれてると思ってる。後ちょっとだけど頼むな」
主語もつけづ、唐突にそう早口に言うと、宍戸君は逃げるように去って行った。


一人残された私は、本当にこれからのことについて考えなければならないのだと漠然と不安になった。

全部引きずっているから、何もかもがおかしくなっている。
そろそろ志保が戻ってくる前に何とかしなければならない。
そんな時期なのかもしれない。
なにもかも決断する時が迫っている。

だけど、最後まで私の元にあなただけは残っていてね。
そんな思いを込めて指輪をぎゅっと服の上から握り締めた。

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☆コメント
全てが予想外。
でもこれから多分プロット通りにしばらく続くはず!
宍戸何もしない予定だったのに…………。


2009.4.16