声を聞かせて
そりゃぁ、何もかもがうまくいくなんて思ってなかったけど。
こんな空気の中、私がいていいのかな?
ドリンクボトルを洗いながら、さっきまでの空気を思い出し、ため息をついた。
「すみません。洗い物お願いしちゃって。良かったですか?」
後ろから声をかけられてビクッとする。
ああ、岸上さんか。
まだどうして接していいものやら考え中だけど、いい子だということは分かる。
仕事を丁寧に教えてくれる子だ。
「ううん。まだいろんなことに慣れてないから、できることを中心にやっていこうと思って。まだ岸上さんやることあるんでしょう?」
「ええ。ってか、同じ歳何だから敬語はなしにしよう」
「うん。…そうだね」
明るい子だからきっとみんなに好かれているんだろうな。
あの宍戸君の状態見ていたら分かる。
明らかに歓迎してなかったし。
私が岸上さんをいじめるかもしれない不安もあるんだろう。
元々、氷帝マネージャーっていうのは、女生徒の憧れの地位だ。
素敵で、カッコいいテニス部員と接触できる部活。
競争率はどこの部活よりも高い。
だけど、本当にテニス部のマネージャーとして一生懸命活動できる子っていうのは本当に一握りだ。
やはり好きな人の方に目が行ってしまって、手が動かないとか。
好きな人に近づこうと、マネージャー業をせずに、部員に近づこうとしたり。
少しでも真面目な子に、嫌味を言ってなんとかライバルを消そうといじめっぽいことになったりと。
なかなかちゃんとしたマネージャーがいつかない。
だからほとんど部員の紹介とか。
幼馴染に頼んでみた入りと、なかなか狭き門なのだ。
私が前にマネージャーになった時は、志保の紹介だった。
トリップして転校してきた時に、一番お世話になった志保。
もちろん大好きな世界にきて、テニス部は憧れの場所ではあったけれど。
すぐにそこに近づくなんてだいそれたことはできなかった。
クラスメイトに侑士とジローちゃんがいるだけで十分だったからだ。
だけど志保がちょっとだけやってみないかと話を持ち込んできた。
最初は絶対にできっこないと思っていた。
憧れの人たちの中でちゃんと仕事をできるかどうか自信がなかったのだ。
でも志保が人が足りないとぼやいていて、自分だけはとてもマネージャー業は回らないからとお願いしてきたから、恐る恐る入り込んだのだ。
しかしやはり突然転校してきたそこらへんの女が、マネージャーとして出てきた時は、かなりの反感を買った。
小さな虐めから。
嫌がらせのたぐいまでやっぱり受けた。
それでも志保とレギュラーがなんとかかばってくれていたのでほんの少しの被害ですんだ。
志保は岳人の幼馴染で、中学校の時からテニス部のマネージャーをしていたからいじめられるのはあまりなかったようだ。
それに志保にはテニス部以外の彼氏がいるのが有名だったので、そこもよかったのだろう。
だけど恋愛なんてとんでもなかった。
マネージャーの仕事で手一杯だったのだから。
テニス部のマネージャーは想像していたよりも忙しかった。
慣れてきたら、一般のテニス部員の面倒までみはじめたらもっと大変になったけど。
レギュラーと準レギュだけでいいとは言われていたけど、やはり一般テニス部員もれきっとしたテニス部員だ。
どれも一緒だと、私がはじめたころは志保も苦笑いだったけど、何やかんや言いながらも手伝ってくれて毎日が充実していた。
その頃は、レギュラーとも仲良くなっていた。
でもそれだけで、幸せだと思っていた。
なかなかない生活は楽しくて、満足できているのに、誰かの彼女になるなんて思いもよらないことだったから。
「えっと、じゃぁドリンクお願い。私、洗濯行ってくるね」
「いってらっしゃい。ドリンク終わったらスコアつけ交代するから」
「分かった。お願いね」
岸上さんを見送った後、ドリンクを作ろうと、棚をあけると記憶の場所に入っていた。
良かった。場所変わってない。
色々記憶と違ってくるだろうと思ってはいたのだが、意外と場所等はほとんど変わっていなくて案心する。
教えることがいっぱいあるせいだろう。
結構岸上さんは教え忘れているようだ。
でも教えてもらわなくてもほとんど変わっていないから、安心だけど。
たまには分からないふりした方がいいのかな?
とりあえずやることはたくさんあるから早く作っておこう。
前にやっていたことを思い出しながら、ドリンクを作っていたら、後ろから誰かが近づいてきた。
訝しげに振り返ると、そこには宍戸君がいた。
「? ドリンクでもいるの? 宍戸君。コートに先に作ったのを置いてたんだけど、気づかなかった?」
多分違う用だろうと分かっていたけれど、そ知らぬ顔して言う。
「いや。そうじゃねぇ」
「何?」
本当は平然としてこうやって話すのも不思議だ。
いや、まったく平然なんかじゃなくて、本当は震える声を抑えるだけで精一杯なんだ。
あの頃の、みんなじゃないのは何度も思い知らされているから。
「あのな」
「待って!」
宍戸君が言う言葉を慌てて遮った。
やっぱり無理な事だ。
我慢して、私はのけ者だということを何度も確認したくない。
拒絶されるのが怖い。
宍戸君の言いたい事は分かるから、それなら自分で言ってしまえばいい。
「あのね、宍戸君。私は臨時。数週間すればちゃんと去るから、それまで我慢してくれないかな?」
「は?」
「ちゃんと岸上さんには迷惑かけない。それにテニス部のメンバーの誰かと恋人になりたいなんて思ってないよ。
私は数週間だけの臨時だもの。迷惑かけるつもりもないの」
言ってて、胸が苦しくなった。
本当は言いたい。
思い出して欲しい。
みんなとの思い出を少しでも思い出してもらえて、あの笑顔を向けられたい。
景吾と…………。
でも駄目だ。
私はまた彼女の場所を奪うなんて権利はないのだから。
私がイレギュラーな存在なのだ。
必死な言葉が通じたのか、宍戸君は何か言おうとしたのだけど、口を閉ざした。
「別に…………俺は…………」
うまく言葉にならなかったようで、宍戸君はそのまま去ってしまった。
ほっとしつつも、なんだか寂しく思えた。
やっぱり私はもう忘れられた存在なんだと思い知らされて。
でも、ここに戻ってきたのはそういうことを何度も感じなければならないんだと思う。
これはまだ序の口だろう。
ただ、ここに戻ってきた以上、もう思い残すことのないように行動したい。
前は何がなんだか分からないうちに戻ってしまったから、何もかもが中途半端だ。
だから部活のことをしっかりサポートして。
一般テニス部員にもできることをしてあげたい。
スコアづけもパソコンですぐに分かるようにと途中までやっていたデーターを残しっぱなしにしてた。
元々レギュラーはパソコン入力にしてたけど、他の部員はしてなかったから別に入力できるように作っていたのだ。
データにすると自分の能力、力の差などが分かりやすいのだから、レギュラーだけではなく他の部員もするべきだと私が言い出したからだ。
見える数値を出すと、部員の士気も上がると思ってのこと。
景吾もいい考えだとは言ってくれたのが嬉しかったから何とか形にしたかったのだけれど。
それをしている途中で、元の世界に戻らされてしまった。
戻れない場所に戻ってきたのだから、何もかもやってそれから去ろう。
じゃないと、戻ってきた意味がない。
よし、頑張るぞ。
小さな決意を胸に、私は止まっていた手を動かしだした。
余計なことを考えなくてすむようにと。
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☆コメント
肝が据わっているのかいないのやらと考えさせられますが。
マネになりました。
進んでいるのやらいないのやら。
マネの話でこれから進んでいくと思われます。
2009.1.11