声を聞かせて
最初二人を見つけた時、恋人同士が抱擁しあっていると思った。
だけどどこか様子がおかしかったし、ちらっと見えた頭の毛と色は見覚えのあるものだったから、近づいてみた。
一緒にいた後輩の日吉は俺を止めようと腕を掴んだのだが。
真っ青な顔したと、ジローを見つけて、目を丸くした。
「おい、どうしたんだ?」
声をかけると、の背中がビクッと震え、涙のぬれた目でこっちに振り返った。
「向日君………」
小さく、震える声は助けて欲しいと言っていた。
慌てて二人で近づくと、ジローはぐったりしていた。
「どうしたんだ? ジロー? おい、何があったんだ!」
意識のないジローには無言で涙をこぼす。
何があったのか分からず、ただうろたえた。
「誰かに襲われたんですか?」
一つ年下の後輩は、何があっても冷静沈着な男なのでこんな状況でも的確な情報を集めようと淡々と問う。
首を振るに続けて質問をする。
「倒れた状況は?」
「……頭が…痛いって………苦しみだしたの」
にもたれたジローを受け取り、軽く揺さぶった。
だが、ジローは目を開ける様子はない。
「芥川先輩は頭痛持ちじゃなかったはずですし、ただの頭痛で倒れるなんて、揺らすのは危険です。向日先輩」
何かの病気かと、怖くなってジローを抱きしめたまま、今度は俺が動けなくなった。
動かすと駄目なのか?
オロオロしだした俺に、が口を開いた。
「多分………病気じゃないと思う。…………私が余計なことを言ったから、考えすぎて…………」
「は?」
考えすぎ?
たったそれだけのことでジローが倒れるようなことなのか?
俺は真っ青なままのを見つめた。
ハラハラ流れる涙は、何故か胸が痛くなるほど綺麗だ。
「じゃぁ、保健室へ連れて行きましょう。このまま目が覚ますまでここではなんですから」
俺の手から、日吉がジローを受け取り、まるで子供を抱えるかのように抱き上げた。
歩き出そうとして、日吉は考えたようにに振り返った。
顔は相変わらず真っ青で、涙は止まってない。
「先輩は、このまま帰宅された方がいいですね。芥川先輩はこちらが世話しますから」
「でも…………」
「部活もでなくて結構です。そんな顔で部活に出ても、たいしたことができないでしょうし。
それにその顔のままだと芥川先輩が起きた時に心配します。芥川先輩はこちらがきちんと世話しますから安心してください」
有無を言わせず、日吉は辛らつとも言える口調できっぱりを拒否した。
可哀想だとも思ったけれど、確かにの顔は真っ青で、このまま一緒にいても役には立たないだろう。
むしろ、いつ倒れるのか心配しなくてはならない状態だ。
日吉の言うことももっともだと納得したのか分からないが、小さくは頷いた。
「送ろうか?」
あまりの顔色の悪さに、思わずそう言ったのだが、は首を振った。
「大丈夫。…………芥川君をよろしくね」
心配するような足取りで歩いていこうとしたは、思い出したようにこちらに振り返った。
「それから、芥川君に、ごめんなさいって伝えてください」
搾り出すような声でそれでもはっきり言ったの顔は、とても直視できなかった。
校医は職員会議に出るということで、保健室には俺たち3人だけだった。
ジローはときおりうなされたような声をだすが、目を覚まさない。
「なぁ、日吉。何でジローは倒れたんだろうな」
「そんなの知りませんよ。本人じゃないんですから」
窓際にたたずむ日吉はそっけなく答える。
多分そう答えるだろうとは思っていたけれど、もっと考えてくれてもいいんじゃないのかって思う。
「、ちゃんと家に帰りついたかな」
「さぁ」
日吉の返答は無視しよう。
いちいち気にしてたら、むかつくし。
でもやっぱり喋る相手は日吉しかいないので、どうしても話かけてしまう。
「部活無断で休んで良かったのかよ。日吉。お前跡部を超えるんだろ?」
「1日ぐらいだったら何とかなります。それより、向日先輩こそ、忍足先輩に連絡しなくて良かったんですか?」
「あ〜、うん」
ジローのことがあって、連絡もなしに部活を休んだのだから、きっと今頃跡部はカンカンに怒っているだろうな。
3人も無断で休んでたらそりゃ、怒るよな。
それに多分も部室へ行かず、黙って帰ったと思う。
あの状態じゃ、まともに考えることもできなかっただろうし。
ちゃんと帰れたんだろうかとも思う。
「最近さ、何かみんな変だろう。ここにいる3人と樺地以外はみんなどっかおかしいよな。跡部もぴりぴりしてる。
侑士もどこか変で。今まで楽しかった部活が今は少し息苦しいって思う」
「ふ〜ん。向日先輩はそこまで鈍感ってわけじゃなかったんですね。ちゃんと空気を理解してたなんて驚きです」
「お前な!何でいつもそうやって揚げ足とるんだよ」
失礼なやつだな。
「本当のことを言ったまでですけどね」
日吉はそう言って肩をすくめた。
「まぁ、最近の部活状況では、2日ぐらい休んでも置いていかれる状況ではないことは確かですね。
みんなどこか上の空ですから」
「…………なぁ、日吉はどう思う? のこと」
誰かに聞いてみたかった質問だ。
でも、誰にでも聞いてはいけない気がして、ずっと黙っていた。
「よくできる先輩だと思ってますよ。ただ…………」
珍しく日吉が答えに言いよどんでいる。
「ただ?」
その先が聞きたくて、つい急かしてしまった。
しかし日吉も言葉を探しているようで、容易には口を開かない。
「そうですね。俺にはあの人が」
「んん…………ん」
日吉の言葉を遮るように、ベットで寝ていたジローが声を出した。
むずがる子供のように、身体が動いている。
真っ白だった顔は、寝ていたせいか随分顔色がよくなっていた。
「ジロー?」
声をかけて顔を覗き込むと、何故かジローは不思議そうな顔をして俺の顔を見つめた。
「おい、ジロー大丈夫なのか?」
どこか頭を打ったのだろうかとあたふたしていると。
「あれ? 岳人?」
妙に明るい間抜けな声で俺を認識したような顔をやっとした。
「勘弁しろよ。ジロー。お前倒れたんだぞ。覚えてるのか?」
「…………あ〜。岳人と日吉が俺のことここまで運んでくれたんだ?」
もう一人日吉が窓際に立っていることも認識したようで、迷惑かけちゃったね〜とのんきな口調で言う。
「お前、ちゃんと倒れた時のこととか覚えてるのかよ」
「…………うん。ねぇ、さんは?」
周りを見回して彼女がいないことが分かると、心配そうな顔をして俺に聞いた。
「帰らせました。先輩の方が真っ青な顔してましたからね」
返事は俺じゃなくて、日吉がしたけど。
「そっか…………」
ジローがぽつっと寂しそうに呟いた。
「ジロー?」
「ああ、岳人と日吉が俺のことここに連れてきてくれたんだ。有難うね〜」
無理したような笑顔でお礼を言われ、何だか微妙な顔を返したんだろう。
ジローがすぐに泣きそうな顔になった。
「ジロー?」
そんな顔をめったに見せないジローをどう扱っていいのかわからない。
そんなシリアスな場面に慣れてないから、居心地も悪い。
だが俺とは対照的に、日吉は随分冷静な態度でいる。
一つ年下だけなのになんでこいつはこんなに余裕なんだろう?
「そういえば、先輩の伝言を言い忘れてました」
「伝言?」
「ごめんなさい。だそうです」
ジローは唇をぎゅっとかみ締めて、黙り込んでしまった。
あの二人に何があったのだろうか。
大体、俺自身部活の中の空気が何なのかよく分かってない。
と跡部のことや、侑士や宍戸。鳳にミナミ。
何だが全部分かってない。
ただどこか空気が重くて、居心地が悪い。
何かあったとは容易に理解できるけれど、その原因がなのかとも想像つくけれど。
それでも…………が悪いなんて思いたくなかった。
あいつはいい奴だと思うから。
根拠のない思いだけれど、この考えは正しいと思ってるし、信じている。
「ねぇ、俺たち…………何か忘れてない?」
ぽつっとジローが聞いてきた。
「部活ですか?」
日吉の言葉にジローは小さく首をふる。
「そうじゃなくて、俺たち誰かを忘れてない?」
まるですがるような目で俺たちを見つめるジロー。
あまりにも突拍子もない言葉に、俺たちは黙り込んだ。
「ずっとずっと何か足りないって思ってた。誰かいないって分かってたけど。
それが誰なのかどうしても思い出せないんだ」
まるで血を吐くようにジローは言葉をこぼしていく。
「記憶喪失みたいなものですか?」
とらえようのない言葉に、日吉も戸惑っているようだ。
「そうじゃなくて…………俺たちの中に、輪の中にいつもいた子がいたんだ。でも、俺たちはそれが誰なのか忘れてる。
あんなに大好きな子だったのに。俺たちきっと忘れてる…………」
俺たちが忘れている?
俺たちというと、もちろん俺も入っているっていうことだろうか。
忘れている?
誰を?
「おいおい、ジロー。それって何の冗談だ? 忘れているって、俺たち全員が記憶喪失になったとでも?
でもそんな記憶なんてまったくないし、俺たちが誰を忘れてるって言うんだよ」
そんな妙なことがあるのだろうか。
それに俺が誰かを忘れているなんていう片鱗さえないと思う。
しかし忘れていると言われて、思い出せるほどそんな単純なものなのだろうか。
ジローの話があまりにも突飛過ぎて、事実として受け入れられないし。
理解もできない。
「倒れたせいで、どっか頭打ったのか?」
茶化してみたけれど、ジローは黙ったままだった。
掛け布団をぎゅっと握り締めて、痛みを堪えているかのように苦しそうな顔をしている。
俺は思わず言葉を発するのをやめた。
やはりこんなジローははじめて見る。
「…………女の人ですか?」
それまで黙って聞いていた日吉が口を開いた。
その声にジローははっとしたように日吉を見る。
「正直確証はありませんし、そんな話を信じるほど馬鹿でもありません。
でも…………忘れられない言葉と笑顔があります。いつからかは覚えてませんけど。いつの間にか心の中にいました。
名も顔も知らない女の人です」
『若君。頑張りすぎだよ? 下克上ってそんなに自分を追い詰めるほどしなきゃいけないの?
景吾ばかり見てないで、世間をもっと見てみなさいよ。あなたには無限の可能性が広がってるんだよ。
奪い取るものだけが下克上じゃないよ? 進んでいくごとに掴んでいくものが本物で下克上より大切なんじゃないのかな。
だから、無理しないで、身体を休ますことも大事なんだから』
『そんな意味不明なことを言われても、理解できませんよ。先輩の話は要領を得ないので分かりにくいです』
『も〜。若君っていつもそうやって聞かないふりするんだから!』
「日吉はその記憶はどう思う?」
「さぁ、どうでしょうか。いるのかいないのか分かりませんけど、それとも自分の妄想の産物か。
でも持っていて悪いものではありませんよ」
日吉が穏やかな顔でそう答えた。
正直驚いた。
日吉がこの話にのってきたことも、よく分からない話をここに持ってきたことも。
優しい顔して語る日吉は、知らない顔をしている。
「俺は知りたい。それが誰なのか。日吉は笑顔なんだろう。俺のはいつも泣いてるんだ…………。
心配しなくてもいいんだって言いたいんだけど、それが誰か分からないんだ。だから知りたい」
笑って欲しいんだと呟くジローがなんだか頼りなく見えた。
「ごめんね。急にこんなこと言って」
ジローはこの話はおしまいとばかりに笑顔を無理やり作ってまとめようとした。
微妙な空気が流れる中、ベットから降りたジローは夕日を寂しそうに見た。
「ああ、向日先輩」
同じように夕日を見ていた日吉が、突然俺に話をふった。
「何だ?」
「さっきの話の続きです」
「話?」
すぐにはピンとこなくて、まぬけな顔をしたと思う。
「よくできた先輩だと思うと同時に、どこか儚く感じます。すぐにでも消えてしまいそうで。切なく思ってます」
日吉はそう言うともう二度は言わないとばかり口を噤んだ。
ジローは多分何の話かは分からなかったのだろうけど、誰の話かは分かっていたようだった。
俺はそれにたいして答えられなかった。
多分日吉は答えなど期待してなどいなかったのだろうけど。
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☆コメント
あまりでてこなかった二人をだしてみました。
ちょっと日吉がなんだか感ずいているようにしてみました。
それでもまだ誰一人思い出してはいないのですが。
まさか30話を超えるとは思ってなかったので、驚きです。
まだもう少し付き合ってくださいね。
真実はまだまだ先のようですが…………。
2009.5.7