声を聞かせて
集中しすぎたせいで、時計の針がすでに30分以上回っているのに気がつかなかった。
慌てて帰り支度をし、残りのデーターを家で入れ込もうとUSBを引き抜いてカバンに入れる。
あれからちょくちょく遅くは残るけれど、できるだけ30分以上は残らないようにと気をつけていたのに。
不審な態度は見せられない。
戸締りとガスのチェックをすませると、慌てるように部室から出た。
鍵を閉めて帰ろうと、身体を反転すると思わぬ存在を見つけて悲鳴を上げそうになった。
「跡部君」
震える声を抑えるように名前を呼んだけれど、多分声は震えていたはずだ。
自分自身でも分かったから。
彼が私を待っている理由はないはずだ。
「岸上さんならもう帰ったはずだけど。一緒じゃなかったの?」
厳しい目で見つめられている。
彼にとって、私は未知の存在だろう。
「お前に話がある」
まっすぐな瞳で見つめられ、身体が震えた。
こうやって見つめられるのはここにきてはじめてかもしれない。
しばらくお互い見詰め合っい、喋るタイミングが見つからず黙っていたが、意を決したように景吾が口を開いた。
「千石とお前の関係はどういう関係だ?」
その言葉の意図がつかめず目を見開いたまま景吾を見つめた。
「…………レギュラー以外のデータも集めているようだな」
誰も気づいていないとこっそり動いていたのに、それでも景吾は気がついていたようだ。
その可能性も考えてはいたのだけれど、私に興味がない彼が気がつくことはないかもと。
甘い考えを持っていたのだけれど、ここまで早く気がつくなどとは思ってもみなかった。
誤算だ。
「データの行方は?」
硬い表情で景吾が言う。
「どこにも流出なんてさせてないし、させるつもりもありません」
これだけは本当だ。
いくら今の景吾が苦手だといっても、この誤解だけは解かないといけないだろう。
「その保証はどこにある? 現にデータを集めていたのは事実だろう」
「それは」
反論はできなかった。
データを集めているのは事実だ。
でも、前のことなど喋れるわけはない。
やはり安易にデータを集めることはしてはいけなかったのだろうか。
心残りを片付けたいと思っていても、してはならなかった行為なのかもしれない。
「千石に頼まれたのか?」
「違います」
「惚れた男のためにそこまでするのか?」
「だから違います。あれは私が勝手にやっていただけで。でも、外にもらすつもりもなくて。
ただまとめていただけです。準レギュとレギュラーと同じように一般テニス部もパソコンに入れていれば少しは役に立つかと思って」
胡乱な目で見つめられる。
それは仕方のないことかもしれない。
ただの臨時マネがここまでやる必要のない。
それに考えもつかないだろう。
そんなことをやるとしたら、深い理由でもないとおかしな話だと思う。
だから私と清純君が付き合っているということで納得したのだろう。
…………滑稽な話だ。
私はまだ景吾のことを忘れてなどいないのに。
「付き合ってないのか?」
どうしても景吾は私と清純君との関係をもたせたいみたい。
「付き合ってません」
でも付き合ってないのは本当だ。
だからそれだけははっきり言える。
「片想いか?」
ポーカーフェイスは苦手だ。
思ったことが顔にでる。
だけどこの場合はどうとったらいいのか分からない。
「じゃぁ、千石の片想いか」
「なっ!」
しれっとそう言った景吾は、まるで当然のようにそう言った。
「違うのか?」
「…………」
まるで見てきたような景吾の言葉に言葉が出ない。
清純君は…………。
あの時に、私が泣いた日に笑いながら言った。
「ねぇ、ちゃん。俺と付き合わない?」
泣き止みそうにない私に、清純君はやはり軽い口調でそう言った。
びっくりして顔を上げたら、そこにはあまり見たことのない真面目な顔をした清純君がいた。
「跡部には今彼女がいるんだろう? このまま黙ってみているつもりなら、逃げるつもりでいいから俺と付き合おう」
「清純君…………」
「今すぐ好きになれとは言わないよ。でも、俺はちゃんが好きだよ。こうやって会いにこうようと思うぐらいに」
優しい清純君は、私の負担にならないようにこうやって言葉を選びながら与えてくれる。
「私は……」
優しい清純君にこのまま 流れるように付き合ってしまえばきっと楽だろう。
彼なら優しく。
きっと大事にしてくれる。
私の寂しさを埋めてくれる。
でもそれはやっぱり。
清純君を利用してしまう。
優しいから、大事にしてくれる清純君を利用して、私はきっと傷つけてしまうだろう。
清純君だけではなく何もかも。
逃げ場は欲しい。
でも、大事な人なら尚更逃げ場にしたくない。
それに清純君は好きだけれど、友達としての好きから、恋人の好きなんて絶対に変わらないと思う。
私が好きなのは景吾だ。
景吾がもう二度と私を見なくても、私はきっと景吾を永遠に想うだろう。
希望のない奇跡。
景吾が私を思い出すことはないのかもしれない。
清純君の手を取らなければ。
私はずっと何年もこの想いを抱え、ずっとずっと生きていくのだろう。
行き場のない想いだけが増え続ける。
恐怖すら覚えるけれど、それでも…………。
それでも私は景吾を愛しているから。
この手はとれない。
「清純君。私………」
何とか口を開こうとすると、それより先に清純君が私の頭を乱暴になでた。
「冗談だよ。冗談。本気にした?」
ニコニコした顔で清純君は変わらない口調で続ける。
「泣きたかったらいつでも胸を貸してあげるよ。寂しかったら駆けつけてあげるから。
頑張ってよ。ちゃん。俺はいつでもちゃんの味方だよ」
今度こそ涙が止まらず、清純君の顔が滲んでどんな顔をしているのか分からなかった。
やっぱり私はずるい人間だ。
こうやって清純君に守られて。
嫌なことを言わなくてもすむように、笑い話にしてくれる。
ごめんなさい。
きっと清純君のことを考えずに何度も何度もこの手を頼ってしまうのだろう。
何度もこの胸で泣かせてもらうのだろう。
だけど、心はいつまでも景吾に囚われている。
悲しいぐらいに。
とにかく、清純君と私が付き合っているという話や片想いなどという話をやめたかった。
「清純君は関係ありません。私は私の仕事を、有坂さんが帰ってくるまでするつもりです。
それ以上は一切関わりあいになるつもりはありません」
これ以上の話はないと切り上げようとしたのだが。
「その保証は?」
景吾は切り上げてはくれない。
もっともだとは思うけれど。
「…………ありません」
しばらく景吾と私のにらみ合いが続く。
その沈黙をやぶったのは景吾が先だった。
軽くため息をつくと、仕方がないとばかりに。
「データが出来上がったら、もってこい。何故お前がそれをしようと思ったのか、
それからそのデータについて何かあれば聞かせろ」
まさかそういうことで話を終わらせるなんて思わなくてただびっくりした。
目をまんまるくして驚いて景吾を見たが、そのままくるりと背中を向けて去って行ってしまった。
まるで何事もなかったのかのように。
ほっと肩の力が抜けた。
久しぶりに景吾と二人っきりで喋ったけれど、ただ怖くて不安だった。
景吾は私のことをどう思っているのだろうか。
きっと取るに足らない人間だとは思っているのだろうけれど。
やっぱりきついな。
このまま景吾たちのテニス部にいるのは精神的に辛すぎる。
でも、多分これが最後。
悔いの残らないように、全部終わらせたい。
だから逃げては駄目だ。
震える足をしかりつけ、私もその場所から歩き出した。
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☆コメント
あれ?
話的に思わぬところへ。
いったような?