声を聞かせて



どのくらいの時間がたったのだろうか。
しばらく聞こえてきていた泣き声も消えた。
だけどどちらも喋ることはなく、ただ黙ったまま。
俺は雲の動きをずっと眺めていた。
沈黙が気まずいなんて思うこともなく、居心地が良いと思ってしまうほどの穏やかな空気だった。


不思議な人だと思う。
まるでミナミ先輩や気の合うテニス部の人たちと同じような空気をまとっている。
ずっと一緒に居ても安心できる雰囲気だ。


何故こんな人が存在しているのだろうか。
そして何故こんな人が…………。
いや、それはただの想像だ。


チャリ。
先輩の手の中にある鎖が鳴る。
その手の中のものも気にならないと言えば嘘だ。
あの中にあるものは指輪?
それはミナミ先輩のもの?
それとも違うもの?


「有難う」
小さな小さな声だけど、それでもちゃんと聞こえた。
「いえ…………」
「誰にでも…………優しいんだね」
それは俺に言っているわけではなく、自分自身に言っているようなそんな台詞。
「指輪……の行方が気になるんでしょう?」
「…………はい」
先輩は寂しそうな笑みを浮かべていた。
その笑みに思わず返事をしてしまった。
嘘を並べたところで、きっとこの人は分かってしまうだろう。
ミナミ先輩の指輪紛失は有名な話だ。

「残念だけど、彼女の指輪じゃないの。似ている…でしょうけど」
右手がゆっくりあけられる。
手のひらには、小さな可愛らしい指輪がのっていた。
見たことのある指輪。
ミナミ先輩が跡部先輩に買ってもらってすぐに嬉しそうに俺に見せてくれたものと同じ。
これが違う?
俺には違いが分からなかった。
だけど跡部先輩が買ったものだから値段はかなりなものだ。
それを普通の生徒である一人が同じものを持っている?
俺は判断できなかった。


「見せられたものと同じなのね。これ」
指輪をつまみあげて、先輩は光に透かした。
指輪は光を受けて、色を変える。
「じゃあ、彼女の指輪には名前彫ってあった?」
「はい。跡部先輩とミナミ先輩の名前が」
「そう」
彼女は俺に見やすいように、指輪の中を一部見せてくれた。
そこにはミナミ先輩の名前ではなく、先輩の名前が彫ってあった。
相手の名前は、先輩の指が邪魔して見えない。
「これは?」
「貰ったの。私の大事なお守り。もう…………私の相手はいないんだけどね」
泣きそうな笑みで、空を見上げる先輩の横顔が凄く切ない。
「亡くなったんですか?」
口にだして、自分がどんなに無神経なことを言ったのか気がついて慌てる。
びっくりしたように俺を見た先輩は、小さく笑みを浮かべた。
「そうね。そう。もう二度と会うことはないでしょうね」
自分に言い聞かせるようにぽつりと呟く。
どれだけ相手のことを想っているのかそれだけでよく分かる。
「すみません」
全部のことをひっくるめての謝罪だった。
ミナミ先輩の指輪だと疑ったこと、先輩を追い続けたこと。
無神経なことを聞いてしまったこと。



しばらく沈黙した後、先輩が話始めた。
「声が好きだったの。彼の声がね。迷子の私を救い出してくれたの」
先輩の声も凄く耳に心地よい。
安心できる声だ。
「自信家で、自分を飾らない人で、寂しがり屋で。私に光を与えてくれた人。
突然それが失われるなんて思ってみなかった」


『待っている。俺はお前を忘れない。だから戻って来い!』


「贅沢だったのかもね。全部」


自嘲気味に笑う先輩の姿が切なかった。
こんな人にこんな笑みを浮かべさせている人に、無性に腹が立った。
この世にいない人だとしても、何故か許せなかった。

「そんなことないです!!」
気がついたら叫んでいて、先輩の前に立っていた。
「鳳君?」
「そんなことはないです。きっと必要だから出会ったんです。例えそれが失う予定だったとしても。
必要だから先輩とその人は出会ったんです。だってその人と出会って幸せだったんですよね」
どうしてこんなに必死になって慰めているのか分からなかった。
でもただこの人をこのままにしたくないと思う自分の心に従っているだけだ。
「幸せだったよ。今でも幸せだと思ってる。後悔はしてない」
それだけは本当だと言うように、先輩ははっきり答えた。
「だったら絶対に間違ってないです。先輩と彼との出会いは!」
飾りのない、気の利いたことを一つも言えない俺の言葉だと思う。
だけどそれは嘘偽りのない言葉だ。


「有難う」


しばらく黙って俺を見ていた先輩はぽつりと呟いて、一筋の涙を流した。
それを純粋に綺麗だと思った。




「もう私に会わない方がいいよ。今日出会った事も忘れてね」
「先輩?」
不思議そうに言ったら、あの笑顔がかえされた。
指輪の謎がとけても、まだまだ知りたいことも不思議なこともたくさんある。
跡部先輩を恐れることや。
あの笑顔のことなど。

「有難う。本当に嬉しかった」
俺の制止の言葉も聴かずに、先輩は屋上から出て行ってしまった。
寂しい笑みを浮かべたまま。










先輩が俺達のことを忘れても、絶対に忘れません!』


何かが頭の中で浮かんでは消える。
まるでしゃぼん玉のようだ。
もどかしいのに、どうやっても思い出せない何か。
思い出そうとすればするほど、酷い耳鳴りと頭の痛さに降参するかたちとなって思い出すのをやめてしまう。


『俺達は絶対に忘れません。だから絶対にこっちに戻ってきてください! ずっと待ってますから!』


とても大切な思い出だと分かっているのに。
取り戻すすべを俺達はまだ知らない。

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☆コメント
鳳編一応終了です。
次は主人公へいこうかなぁと思ってます。
最後まで話は決めたものの、肝心の中身はあまり考えてないのに最近気がつきました。。
終わりをさらっと書いてしまえば、あっさりと終わってしまうこの話。
できればせつなさをできるだけ引きずりたい(笑)
どうも行き当たりばったりで話は進んでいるけど、自分的には思っているよりびっくり
いい感じだと思います。
この調子で話を進めて行きたいです。


2008.10.22